昭和44年04月22日 夜の御理解



 久留米の二代教会長であります、石橋光男先生の15年の式年祭が御座いましたから、若先生も一緒におかげを頂きました。お参りは、まあ先生方ばっかりでしたが、本当にあの、三つの年に脳膜炎を患われたと言うですから、まあ普通、あのお話の中にも残っております様に、小倉の桂先生が石橋先生にある直会場で、「石橋さん、アンタんとこの息子は馬鹿じゃな」と言われなさった、その光男先生なんです。
 まあその時に石橋先生は、「親先生おかげで信心が出けます。」とおっしゃったと。と言う様に、まあ石橋先生もその、光男先生には大変てをやかれ、また難儀をされた事だろうけれども、されれば、される程、まあおかげで信心が出けるという生き方で進まれたと。桂先生はもう、石橋さんでかしたと言うてその、お盃を一番に指されたという話が、残っておりますがね。
 その光男先生がだんだん長ずるに従われて、あの、何か神様に向かわれる時だけは、もう大変な何か、一つの何ち言うでしょうかね。威厳と言うか、何かこう、神々しい様なものを感じておりましたですね。もうこちらへ下がっておられますと馬鹿ばっかり言うてですね、信者をからかわれたり。もう夫婦でもう私一遍、久留米のあの、方をお導きさせて頂いたんですよ。おかげ頂けち言って。
 そしてお参りさせて頂いたら、ここんところに腰掛けとられる訳です。こっちの神様の方に尻向けちから。もう、それもんですけん貴方、私が初めて( ? )もう、どうさ私はもうガッカリして、もうアンタこげんとこに( ? )連れち来てからちバッサラと言われた事がありましたがね、そう言う様な、その時もあったんですよ。ところが、一度その神様へ向かわれると、もうその何ち言うですかね。
 あののりとでも上げられる時にはもう、どっからあげな声が出るじゃろうかち言うごたる、その見事なお祝詞でしたですよね。おのりとでも、天地のりとなんかあの上げられます。そして信者の難儀な色んなお届けがありますと、もうそれこそ大祓い五巻も十巻も上げ続けて御祈念して下さる。非常に御祈念力が強い。そしてその実にそのいわゆる馬鹿ほどに言わば純真なんですよね。
 私はあの話しは聞いておったんです。あの光男先生が、御神前で御祈念をされて、御結界に着かれるその間に仰った事が、あれは神様の言葉と言うて、皆が言うぐらいでした。私は聞くばかりで、とうとう体験した事はなかったんです。ところが私が、もう修行も一番もうたけなわという時分でしたが、あるお参りさせて頂いたら、誰もお参りがあっておりませんでした。
 そしたらすぐお取次ぎ下さってから、御祈念出られてひとしきりに御祈念された。そしてあの、神様のそれこそ私ビックリしましたんですけどもね、御祈念終わってこう、御結界に下がれる時で、この氏子はおかげを頂くばいち言うて、言われたです。もう私はそれを今日は、もう実は私はその一言を一遍頂いとった事がですね、今日私はどうでもお参りさせて頂きたいと思った。
 もう実を言うたら若先生が参りますしね、信者さん方が十名余り、手続きの先生方と言うても、あそこ24~25名ぐらいお参りがあっとっただけでしたけれどもね。私共ちゃあ、そういう義理がないけれども、もうそういうその特別な、言わば神ながらのお取次ぎを頂いておった事があって、もうその時分の私にどのくらいそれが力になったか分からなかったんです。
 はあ、ほんに聞いた事がある。光男先生が御祈念をされて、御神前から御結界に下がられる間に、何かつぶやかれる事がある。それがあの、神様のお言葉だと言う様な事聞いとったんですけど。こう、つぶやかれるなんかじゃなか、大きな声でですね、あそこから下がられる。この氏子はおかげを頂くばいち言うちから、そげん言うて御結界に着かれたんです。と言う様な事が御座いましたから。
 ほれで今日取分け有難いと思うて、今日のお祭を拝ませて頂いたんですけどね。まあそう云う事の中から、本当にあのあぁして体得を受けられれば、受けられるで、矢張り教会長先生の色んな修行があった事と同時にです。所謂その脳膜炎ですか。言うなら、定男さん達がそうですもんね。子供の時に脳膜炎を患うて、あげな状態ですけれど。あの、だからその、非常に純真無垢というか。
 天真爛漫というか、そう言う様なものがお在りになった。大変色々な幸せでお在りにならなかった、本当に亡くなられるまで様々な、まあ不幸を感じられる事であろうけれどもです、私はその光男先生のお取次ぎを頂いてから、その様なおかげ頂いた事があったからね。まあ今日は、その光男先生を、まあ偲ばせて頂く様な意味合いで、その時に頂いた、この氏子はおかげを頂くばいと。
 恐らくあれは桂先生のお言葉じゃなかったろうか、桂先生のお言葉は一種独特ですね。あのなら、どうするばいと言った様な、四神様、それから桂先生のお言葉はよく似とりますが、ではなかったろうかとその時私思わせて頂いて。光男先生を通してそういうおかげを頂いたんだと云う事をね、今日はその時分の事を思わせて頂いて、まあひとしお有難い、私はお祭を頂かせてもろうた、
   おかげを頂きました。